ICO イコ

こうだったら。
 スタッフロールが流れたとき、ああ、物悲しくせつない何ていい作品に出会ったのだと、号泣度100%でした。しかし、しばらくすると「後日談(?)」が。目の前に美しい海岸の風景が広がります。これがはじまったとき、少し醒め(号泣度80%)ました。でも独り砂浜に打ち上げられた僕(主人公とすっかり同化していたため。笑)は動ける状態になったとき、このまま住んでいた村に帰るというのも侘しくて良いなぁと、最後の歩みを開始したのです。ところが!村への道などどこにもなく、海へ向かいリアルさ(僕が実際に体感した海そのもの。びっくり)を体験しつつ、
 

 

 

さまよった挙句見つけたのは…。

 

 

 

 

 

 

 

 


この人。
…号泣度60%。

 

 無理やりハッピーエンドにした感じで、僕には「付け足し」に見えました。彼女の形状が復活しているのも不思議。だいたい海岸にいること自体、スタッフロール前のムービーを台無しにしていると思いました。このとき僕の頭に浮かんだのは「ヒッチコック」の「物語はハッピーエンドにしなくてはならない。でなければ観客が納得しないからね!(「ヒッチコック映画術」フランソワ・トリュフォー著)」の法則でした。バッドエンドで終わるためにはそこに至るまでに「エモーション」をいつも以上に凝縮する必要があるという考えです。僕の中では充分にエモーションを感じられたのですが、ICOのスタッフは「弱い」と感じたのでしょうか?
 こういう心にずーんと響く作品は珍しいと思います。サスペンスを売りにしている大抵のアクション・アドベンチャーゲームは、続編を匂わせるものばかりで正直、うんざりしています。映画「アリゲーター(1980年作品)」からまったく変わっていません!(強暴なワニを倒し平和な日常に戻ったかに見えたが、ワニが潜んでいた下水道に子ワニがぽちょんと落ちて終わるのです。爆)ICOは物語が完成していました。そうなって欲しくありません。
 それでは2段構成のエンディングで、どうしたら海岸のシーンがもっと心に響いた(生きた)だろうか?と考えたときに、次の様なら、と映像が浮かんだのです。


僕は彼女が物語を通じて
どんな場所でも「裸足」であったのがかわいそうでした。

 自分の木靴を渡したら良いのに、と思いました。具体的には序盤で彼女を引っ張って外に出ると「つまずく」モーションを入れ、「主人公が彼女のか弱い足を見て木靴を渡す」ムービーが流れるのです。そしてゲームを終え、スタッフロール。海岸で目覚めた主人公は辺りをさまよい、自分と同じように漂着しているものを発見します。
 

 

 

 





ーそこには彼女に渡した木靴がありました。

 

 

 

 

 

 

 皆さんはどう感じたでしょうか。僕の中では思いっきりストライクですが。(独り勝手に心に染みてる辺り。笑)このようなアイディアはプレイした方それぞれにあると思います。ICOのスタッフに熱い想いをメールしてみるのも良いかもしれません。02/02/27

「目を覚ませぇ〜!!」


ぼかーんっっ!
「Zzzzzzz〜。」
「…………。」


「ううーん…もう、食べられない…zzz〜。」


[BACK]